道具と食のコラム

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Vol.18
トスカーナの四季とフレスコバルディ・ラウデミオ 春

中世においてトスカーナ地方では領主に献上する貢ぎ物をラウデと呼んでいました。その名を戴く現代のラウデミオは、伝統の精神を受け継ぎ、上質であるばかりでなく、他のどのオリーブオイルとも違うエクストラ・ヴァージン・オリーブオイルであることを誇りとしています。

どこでオリーブが生まれ、どのようにしてオリーブオイルへと生まれ変わり、それをどのように味わうのかをご覧いただくことによって、ラウデミオがどうしてラウデミオと呼ばれるに値するのかがおわかりいただけるでしょう。ゆっくりと成長し、やがて貴く輝く緑の滴となるさまを四季を通じてお伝えしてまいります。

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特別なオイル、フレスコバルディ・ラウデミオ

フレスコバルディ侯爵家の広大な農園
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 トスカーナ州都であり、ルネッサンスの中心地として栄えた古都フィレンツ ェ。東西わずか3キロという小さな街は古より貴族たちがその覇を競い合い築き上げた重厚壮麗な石造りのパラッツォ(館)に埋め尽くされています。その中心的存在だったのが、メディチ家。そして、その回りに幾つかの有力貴族が存在し、さらにその周囲にさまざまな貴族階級がおり、メディチ・トスカーナ大公を頂点とするフィレンツェ共和国を形成していました。同国の貴族の数は200とも400とも言われ、今なお、侯爵や伯爵という称号でもって呼ばれるその末裔がこの街には少なからずいます。
 そんなフィレンツェ貴族のなかでも、メディチ家に次ぐ財力権力を誇った有力貴族であったのが、13世紀に台頭したフレスコバルディ侯爵家。銀行業を営み、イギリス王家にも融資していたことから彼の国と深い縁を持ち、大聖堂やヴェッキオ宮殿とはアルノ川を挟んで反対側に広大な屋敷を構えました。ポンテ・ヴェッキオの西隣のひと際美しい装飾の施されたサンタ・トリニタ橋は1252年にフレスコバルディ家が架けたもの。川の南側、つまりフレスコバルディ家の屋敷がある側の橋のたもとの広場にはフレスコバルディの名がついています。
 かような有力貴族で、現在に至るまでその伝統と格式を持ち長らえているフィレンツェ貴族はごくわずか数家しかなく、フレスコバルディ家はそうした数少ないなかでも最も往時の威力を維持している貴族です。30代目を数えるフレスコバルディ家の現在の家業はワインの生産を中心とする農園経営。しかしながら、ルネッサンス以前より関係の深かったイギリス王家とは今も親しい間柄で、チャールズ皇太子がプライベートでしばしばトスカーナを訪れる時は、フレスコバルディ家所有のヴィッラに滞在されるとか。
 フレスコバルディ家は、トスカーナに9つの農園を有し、総面積は4000ha、うちブドウ畑が1000haを占めています。もっとも優れたワインを生み出すのがフィレンツェの北東に位置するニポッツァーノ城、ポミーノ城、そしてシエナの南のモンタルチーノ地区にあるジョコンド城の各農園。そして、それぞれブドウとは別にオリーブの畑も作られており、ワインに比べれば規模は小さくなりますが、それだけに手間暇をかけて丹精し、比類なく上質なエクストラ・ヴァージン・オリーブオイルであると自負しています。

●ラウデミオとは
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「ラウデミオは、オリーブオイルを愛する人々により優れたクォリティを保証したいという思いから生まれました」と語るのは、フレスコバルディ侯爵夫人であるボナさん。当主である夫、ヴィットリオ氏とともにフィレンツェ周辺で良質なオリーブオイルを手がける生産者たちに声をかけ、志を同じくする20社以上を募って生産者組合「リ・オリヴァンティ」を結成しました。
「1980年代、オリーブオイルの品質は今ほどに問われることはなく、市場には安く低品質で、出自も不明瞭なオリーブオイルが溢れていました。私は、丹誠込めたオリーブオイルだけが持つ本当の美味しさをもっと知ってもらう必要があると常々感じていたのです。そこで、生産者組合を立ち上げ、「ラウデミオ」という統一の商品名のもとに明確な性格を備えたトスカーナのオリーブオイルを消費者の皆さんにお届けすることにしたのです。

ボナ・フレスコバルディ侯爵夫人(右)と娘のディアナさん(左)
 「ラウデミオ」は、フィレンツェを中心とする近郊周辺の畑から生まれます。組合では、その土地が適正であるかどうかの検査を始め、栽培方法、収穫方法、搾油方法、瓶詰め作業に至るまで微細に渡ってルールを決めました。それは通常よりもはるかに厳しく、例えば、その当時にはまだ存在しなかったオリーブオイルのDOP(原産地保護呼称。特定の地域で一定のルールに基づいて栽培あるいは飼育された材料を用いた食品として認定されること)よりも、こと細かなルールを生産者自らが課したのです。そしてさらに、出来上がったオリーブオイルは、公正な審査に合格したものだけがようやく「ラウデミオ」を名乗ることができ、一般的なオリーブオイルのボトルとは異なる、ボナ侯爵夫人いうところの「香水の瓶のような」スタイリッシュでノーブルなボトルに詰められるのです。
「父と母が中心となって立ち上げたラウデミオは、オリーブオイルの世界に新風を吹き込み、新時代を築き上げました」と語るのは、ボナ・フレスコバルディ侯爵夫人の娘のディアナさん。4人兄妹の末っ子ですが、ワインを担当する長兄とともに家業に従事し、母から引き継いだオリーブオイル部門の責任者を務め、「リ・オリヴァンティ」の組合長をも引き受けています。
「トスカーナ中央部で作られる香り高く風味豊かなオリーブオイルは、オート・キュイジーヌ(高度に洗練された料理)になくてはならない存在となると同時に、健康的な食生活に関心の高い人々に広く支持されるようになりました。優れたオリーブオイルとして数々の賞も獲得し、“オリーブオイル界のフェラーリ”と評されるまでになっています」。
 20年前、20以上の生産者が一致団結して生み出した「ラウデミオ」は、言い換えれば伝統を大切に思う友人たちとの協調のシンボル。ディアナさんはこう語っています。「一人よりも二人、多くの人々が集まればその力はより強く、より高いところを目指すことができます。今後はますます品質向上に努め、そしてもっとラウデミオの美味しい食べ方を知っていただきたいと思っています」。

ニポッツァーノのオリーブ畑
● 春 ニポッツァーノ城を訪ねて
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 フィレンツェから北東に向かい、車でおよそ40分ほど。アペニン山脈に連なる小高い丘がどこまでも続く丘陵地、キャンティ・ルフィナ地区にニポッツァーノ城がそびえます。1035年頃に建てられた堅牢な石造りの城は、1400年代には領主の館となり、周辺農家を束ねる中心的存在となりました。
 栽培するのはもちろんブドウとオリーブ。標高は200〜450m、オリーブは主に標高250m前後の斜面に植えられています。冬には雪が降ることもしばしばですが、夏の日射しは非常に強く、四季の移り変わりは実に明確。そして何よりも恵まれていると言われるのが、常に吹き渡る清涼な風です。不要な湿度を運び去り、植物の病気を防ぐ天与の気候なのです。

  4月のとあるうららかな日、「フレスコバルディ・ラウデミオ」のニポッツァーノ城農園では、剪定作業が行われていました。ディアナさんによれば、今年2010年の春は例年よりも遅れており、冬の低温が長く続いたため、通常は2月から3月にかけて行われる剪定作業をなかなか開始できなかったそうです。しかし、春先の突然の低温に見舞われてオリーブの木が凍結してしまうという事態には陥らずにすんだのは幸い。木の中の水分が凍結してしまうと木が裂けてしまう上、せっかく芽吹いた若芽がダメージを受けてしまうのです。
重要な剪定作業
 ニポッツァーノ城農園のオリーブ畑はトータルで35ha。そこに植えられているオリーブは、フラントイオ、レッチーノ、モライオーロの3種。イタリアには全部で400種ほどオリーブがあると言われていますが、この3種はトスカーナを始めとする中部イタリアでおもに栽培され、その土地の特性を十分に発揮する代表的な品種です。ここでは、青く清々しい香りと鮮やかな緑色をもたらすフラントイオが全体の7割を占める主品種で、他の2種は甘みや味わいの複雑さ、まろやかさを与えるサポート的存在。しかし、栽培される土地の特性や気候によって、同じ品種でもできあがる実の性質は異なる上、ブレンドの割合によっても味わいは格段に違ってきます。
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製造担当者ジャンニ・マッジ氏
「フレスコバルディ・ラウデミオ」の製造担当者であるジャンニ・マッジ氏によれば、この農園のオリーブは比較的若く、樹齢は15年から20年の間。冬の寒さに死んでしまう木もあるため、新たに植え直したものはそれよりもさらに若木です。土壌はガレストロと呼ばれる、石灰を多分に含んだ白っぽい砂礫質。ミネラルが豊富なトスカーナの典型的な土壌であり、この土がトスカーナ特有のオリーブやブドウを育てるのです。その性質を補い、さらに効果を上げる為の肥料は腐葉土。殺虫剤としては銅を、特に養分を必要とする開花時期には膠灰粘土とカリウムを与えますが、それ以上のことはせず、化学肥料も用いません。
「冬の終わりに行う剪定は実は一番重要な仕事」というジャンニ氏。実をつける枝の内側にある小枝や花芽をつけていない枝を切り払って、花芽に十分な日光を確保し、風通しをよくするのが目的です。この剪定が、来る冬の初めの収穫の出来を左右する要の作業。どの枝を残し、どの枝を切り落とすかを見定めるのは経験を要する仕事であり、誰にでもできるわけではありません。長年の経験を持つ熟練の職人にのみ任されているのです。
 無言で剪定作業をする職人たち。その手さばきは素早く、一瞬で残すべきか切るべきかを見定めていることがわかります。剪定が終わったオリーブの木は「壷型」と呼ばれる形に整えられています。地面から生えた太い幹から2〜3本の主要な枝に分かれ、さらにそれぞれの枝から細い枝が伸び、全体を眺めると上部が開いた壷のような形に見えます。この形状はオリーブの実の付きを良くし、収穫もしやすいという利点があるのです。
 切り落とした枝は病気を持っている場合もあるので、ひとまとめにして燃やします。パチパチと枝が燃える音、小鳥のさえずり、穏やかに吹き過ぎる風。下草もきれいに刈り込んだオリーブの木はこざっぱりとした春の装いで、来るべき夏を心待ちにしているのでしょう。
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写真/池田匡克 文/池田愛美

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